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ひろの「きっぷを握りしめて、あの街へ」

一枚のきっぷから始まる阪急電車の旅、街との出会いをお届けします

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伊藤博文と神戸のゆかり@大倉山公園

9/14のブログでご紹介した高速神戸駅北側の「大倉山公園」に、100年以上の歴史を持つ近代建築があることをご存じでしょうか?こちらをご覧下さい。

 

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公園の西側に石造りの堂々たる建築物が鎮座。

実はこの場所にかつて伊藤博文の銅像があり、この建築物はその銅像の台座だったのです!

 

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明治44年(1911年)に建てられ、石造りの重厚な佇まい。設計は京都大学建築学科教授の武田五一によるもので、よく見ると上がピラミッドのようになっていて、この部分が国会議事堂のデザインに似ていませんか?

実は武田五一の愛弟子である吉武東里らが国会議事堂を設計、議事堂のあのピラミッドのようなデザインは武田の影響を受けているようです。この銅像台座のピラミッドと、国会議事堂がよく似ているのはそのためなんですね。

 

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ゆったりと曲線を描く階段や

 

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柱や上部の曲線など当時のデザインが残されています。

そもそもなぜ、大倉山公園に伊藤博文の銅像台座があるのか?実は伊藤博文は初代兵庫県知事で、神戸にゆかりがありました。

銅像は当初1904年に湊川神社(楠公さん)本殿横にあったのですが、翌年の日露戦争講和条約の内容に激怒した民衆によって引き倒されました。その後1909年(明治42年)に伊藤博文がハルピン暗殺され、それを機に伊藤と親交があり大倉財閥の創始者大倉喜八郎が自身の別荘地だったこの場所に台座と銅像を建てたのです。そして大倉は市民に開放することを条件に神戸市に土地と別荘を寄付、名前も安養寺山から大倉山に改められ現在の大倉山公園へと繋がっているのです。

かつて銅像台座は現在地より少し離れた大倉山頂上に位置しており、当時は周辺に高い建築物も無いことから銅像は神戸港を行き交う船からも見えたそうです。しかしその地に神戸市公会堂の建設計画が持ち上がり、銅像と台座は現在の場所へそのまま移設。銅像は昭和17年(1942年)に金属供出に出され、今は台座だけが残り歴史を伝えています。

 

街の歴史は思わぬところに残されるもの。この銅像台座もその一つですね!

戦前の銅像の写真はこちら(PDF)でご覧下さい。

 

旧伊藤博文公銅像台座

高速神戸駅より北(山側)へ徒歩5分、大倉山公園内

 

※経路はgooglemapが選んだルートで、最適ルートと異なる場合があります。

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