かぼちゃのおまじない
かぼちゃ大好きこんぺいとうです
(お気づきかと思いますが、食べれるものはだいたい大好きです。)
かき氷の日にせっせと雪かきをする前。
京都河原町駅から市バスでワープ午前10時前に到着。
住蓮山 安楽寺
安楽寺は通常非公開ですが、春のさくら、つつじ、さつきの季節と秋のもみじの季節。
そして夏は7月25日、鹿ケ谷かぼちゃ供養の日に一般公開されています。
昨年の秋、たまたま安楽寺の前を通りかかった際に訪れたのがきっかけで安楽寺の存在を知りました。
かぼちゃ供養については7月15日号のTOKKUの阪急沿線インフォメーションコーナーに掲載されていました。
緑が美しい山門、庭を通り抜けご本堂へ。
この日は10時から安楽寺の由来、この日に合わせて虫干しされる宝物の解説がありました。
(10時以外にも開催されていました。)
安楽寺は住蓮上人と安楽上人が現在地から約1キロメートルのあたりに鹿ケ谷草庵を結んだことに始まります。
健永元年(1206)、後鳥羽上皇が紀伊熊野に参詣で留守中、清水寺で法然上人の説法を女官の松虫姫と鈴虫姫が聴聞します。
両姫は容姿端麗で教養も豊富であったため、上皇からご寵愛を受けていましたが、ほかの女官から嫉妬されていました。そんな生活から解放され、心の平安を求め出家を望むようになったそうです。
法然上人の説法が忘れられず、御所を抜けだし鹿ケ谷草庵を訪れます。御所には戻らない覚悟で両上人の目の前で剃髪出家します。
それを知った上皇は激怒。両上人を斬首に処します。さらには法然上人も讃岐国に流罪にされてしまいます。
その後、両姫は瀬戸内海の生口島で念仏三昧の余生を送りました。
斬首された両上人の亡き後、鹿ケ谷草庵は荒廃。
流罪刑から帰京した法然上人が、両上人の菩提を弔うため草庵を復興。「住蓮山 安楽寺」と名付けました。
天文年間(1532~1555)の末、現在の地に本堂が再建されました。
宝物の掛け軸には両姫、両上人が描かれたものがあります。
その中でも印象に残ったのは、この一連の出来事を描いた掛け軸。
まず右下から左へ。中段は左から右へ。上段は右から左へ見ていきます。
由来をお伺いしてから掛け軸をみることが出来るのは、大変貴重です。
宝物をじっくりと鑑賞した後は預けていた御朱印帳を受け取り、書院へ。
京野菜のひとつである鹿ケ谷かぼちゃは瓢箪型。
まるでだるまさんのようなビジュアル!鹿ケ谷かぼちゃが飾られた机でかぼちゃをいただきました。
お椀に溢れんばかりのかぼちゃの煮物。
約220年前、ご本尊の阿弥陀如来から、「土用のころに鹿ケ谷かぼちゃをふるまえば中風にならない。」
とお告げを受けたご住職がふるまったことがはじまり。そのころから続く伝統行事です。
(中風とは脳出血などにより起こる、半身不随や手足のまひなどの症状。)
かぼちゃ本来の味が楽しめます。ほっくほくで甘みがあります。
どうすればこんなに美味しくなるのかな~。
縁側で美しい景色を眺めながらいただくのもいいですね。
かぼちゃのおまじないでこれから1年の健康を手に入れたこんぺいとう
門前で鹿ケ谷かぼちゃまるごと(重い。)を購入し、かぼちゃを抱えて次の目的地へ。
こんぺいとうの京さんぽは続きます。
京都河原町駅下車 市バス錦林車庫前停下 車東へ500m、または真如堂停下車 北東へ500m
住蓮山 安楽寺
一般公開などの詳しい情報はホームページでご確認ください。 コチラ
※経路はgooglemapが選んだルートで、最適ルートと異なる場合があります。
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この記事へのコメント(2)
コトリス2017年7月26日 20:19
私の好きな和菓子店「鶴屋吉信」がツイッターで「鹿ヶ谷カボチャ供養」のことを呟いていたので気になっていました!
このかぼちゃ、くびれがあってなんだか色っぽいですね。
かぼちゃを抱えたこんぺいとうさんが、京さんぽをしている様子を想像してニヤニヤしてしまいました。持って帰るのが大変だったでしょう。
こんぺいとう2017年7月27日 00:08
意識していませんでしたが、うちのもSexyかぼちゃに見えてきました(笑)ときにはクラッチバッグのように持ったり、赤子をあやすように抱えたり。色々な持ち方でどうやったら重さを感じず持てるか試行錯誤しながら京都を彷徨いました。この日は熟睡できるくらい、かぼちゃの重さが老体こたえました( *´艸`)