楠公さんと黄門さまと、あと1人
神戸の神社の中では、言わずと知れた"楠公(なんこう)さん"こと、「湊川神社」です。
楠公さんとは、ご祭神である「楠木正成」公ですね。
歴史人物の中でも、人気のある人で、どちらかというと特に、男性に人気のある歴史人物。
教科書にも載っている歴史的に大きな出来事である、南北朝の戦い。
負けるとわかっていた戦に覚悟をきめて挑んだという男気と、数々の奇襲で相手を苦しめた、という部分が人気の秘訣でしょうか。
その楠公さんが、自刃したのがこの場所なのです。
ではなぜ神社になったのか。
そこで登場するのが、水戸光圀こと水戸黄門さまです。
話はそれますが、黄門さまといえば、ドラマで諸国漫遊しておられますが、あれはもちろん史実ではありませんね。
いくら最強の「助さん」「格さん」というボディガードがいたとはいえ、いくらなんでもおじいちゃん、危なすぎ。
元々、楠木正成のファンであった黄門さま。
湊川神社の創建に関わりがあったことは、よく知られていますが、もう1人影の功労者がいるのです。
黄門さまの偉業で有名なのは、「大日本史」の編纂。
そのために、部下たちを調査や資料集めで、日本各地に派遣していました。
そして、ここ神戸にやってきたのが、佐々介三郎宗淳こと「助さん」だったのです。
ドラマでは「助三郎」ですが、本物は「介三郎」なので「介さん」ですね。
全国を旅してまわっていたのは、黄門さまではなく、介さんだったのです。
当時、楠公さんは墓こそあったものの、忘れられた存在で、その地も荒れ果てていました。
そのことを「正成公がえらいことになっています」と、黄門さまに教えたのが介さん。
「なんと気の毒な。ちゃんとお祀りしてさしあげなさい」
と、黄門さまは立派な墓碑を建てることを命じます。加えて自ら墓碑に字を入れることも。
そのすべてを取り仕切ったのが介さんで、許可、段取り、書類、お金のこと、実務的なことから、現場監督、黄門さまの字を墓に写すことができる人の手配まで、すべてを任され役目を果たしたとされています。
墓碑を建てると言っても、かつて足利幕府に逆らった人物。そうそう簡単にはいかなかったもしれません。
おそらく介さんは、関西に長きにわたって出張、あるいは転勤という状態で、1人でがんばったのではないでしょうか。
黄門さまが建てたということに意味があったのかもしれませんが、それ以後、様々な人たちが集まり協力し、現在の湊川神社へと発展していきます。
黄門さまの功績は当然のことですが、
仕事とはいえ、はるばる茨城から関西の地で尽力してくれた「介さん」の働きあればこその、今があるともいえますね。
「湊川神社」
アクセス:阪急電車 神戸線「高速神戸」駅下車 東出口を出て階段を上がれば正門前です。
http://www.minatogawajinja.or.jp/
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