高槻市の歴史をお勉強。高槻城跡と高山右近の像
私は十数年前に4年間、通学のために毎日毎日宝塚から高槻市内に移動しておりました。なのに・・・高槻市のことを何も知らないまま終わってしまいました。毎日、電車やバスで通っていたところに歴史を感じたことはありませんでした。知らなかったからでしょうね・・・。或いは学校での勉強にヒィヒィ言って見向きもしなかったのでしょう。今、こうやってたくさん知ることができて幸せです。
その高槻市、先に書いた軍事施設の前にはお城があったのですね。そのお城の城主の一人にキリシタン大名の高山右近さんがいます。この方の生きた戦国時代~江戸時代はキリシタンの人々にとっては大変厳しい環境であったにも関わらず、皆の信仰のために尽力されたそうです。しかし幕府から国外追放をされてしまい、マニラに行きそこでまた頑張ろうとしていた矢先に長旅の疲れからか病気になり亡くなってしまったそうです。
話は高槻城までもどりますが、明治時代に入ってからすぐに多くのお城が壊されたのと同様に壊されてしまったそうです。石垣も当時の鉄道建設などの材料になってしまったようで残っていないのですが、高槻市の方々のお城への親しみや高山右近さんのまじめなお仕事ぶりをずっと語り伝えて称えている様子は城跡にくれば随所で感じられるのです。
まずはこちら。
お城のあった敷地内に公立学校があり、その校門が!石垣仕様です。授業のお邪魔をしてはいけませんので学校のお名前は消しておきました。近くに行かれた際はそっとご覧ください。
そしてお堀を再現した公園。
カンヒザクラが満開でした。鳥も止まっていましたよ。
そして!!!
高山右近氏――――!!!!!立派な銅像です。
あいにくこの日は雨でしたが、地域の人々が公園でそれぞれの時間をお過ごしでした。右近さんもこれなら寂しくないですね。あら、私も最後は右近さんなんて下のお名前で呼んでしまいすっかり親しみが!
あと1回、高槻のこと、書きますね^o^
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