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vol.18【ゆめ・まちヒアリング】ワールドキッズコミュニティ

みなさん、こんにちは!
ゆめまちこです
 
2018年のまだご紹介できていないイベントを
つぎつぎに振り返っていますが...いかがでしょう

助成先の団体さんの想いをじっくり聞けたイベント
こども達の笑顔がたくさん見れたイベントなど、
まだまだたくさんございます
 
時間がゆるす限りお付き合いいただけると嬉しいです
 

 
では、今回ご紹介するのは2018年4/18(水)に実施したゆめ·まちヒアリング(公開取材)です

 

【ゆめ・まちソーシャルラボVol.18】
ワールドキッズコミュニティへのヒアリング

――本日のゲストは、ワールドキッズコミュニティの村上さんです。
よろしくお願いします。 ――まずは団体のご紹介をお願いいたします。

 
ワールドキッズコミュニティは、神戸市長田区の鷹取にある、
カトリックたかとり教会の敷地内にて、阪神淡路大震災の時の救援基地が
設けられたことが始まりになります。
震災以降も同じ敷地で、多文化共生支援の団体がたくさん拠点に置きながら活動をしていて、
ワールドキッズコミュニティは、たかとりコミュニティセンターの中の一団体という位置づけです。
外国に関わるこども達が、自分らしさを維持しながら成長できる環境を作るための団体で、
1999年から活動しています。

 

――1999年といえば、震災後ですね。

はい。震災のときはやらなければならないことが多くありました。
例えば非常時の救援活動、救援時の社会的課題をなくしていけるようなまちづくりなど。
ちょうど制度設計が始まった時期でしたね。

 

――ワールドキッズコミュニティの活動を具体的にお教え下さい。

1つは、「外国にルーツのあるこども達が日本社会の中で気後れせず暮らしていける啓発活動」です。
あとは、「こども達自身の居場所づくり・表現活動」。
こども達が安心して成長していくために、家でも学校でもなく、
「自分らしく過ごせる場所」を、というのが目的ですね。
活動は、こども達による映像制作などの表現活動(「Re:C」―レック―)から始めたのですが、
最初から映像作りをしたい子が多いわけではなかったんです。
だから、まずはこども達が自由に出入りできる居場所を作り、
その中で映像作りに興味をもってもらえれば...という流れでした。

外国人のこどもサポートは、たかとりコミュニティセンター内の他団体もやっていたので、
連携しながらやっていき、お互いのバックアップもできるなと。

 

――活動は神戸市長田区中心ですが、なぜ長田区にはなぜ外国人が多いのでしょうか。

長田区は下町でして、古くは朝鮮半島から日本にきた方々がその土地で仕事をするようになり、
居住するようになった...というその中で、ゴム産業やシューズ産業が盛んになっていったんです。
いわば街を発展させていったのが、在日コリアンの方々ということですね。

 

――そういった産業は、いつぐらいからあるのでしょう?

震災前までは上り調子だったんです。特に60年代、70年代は街自体に活気が溢れていました。
例えば、今、高齢の方でも下着1枚を仕立てに出されていたような裕福な時代もあったんですよ。
60年代から70年代に、インドシナからの難民を受け入れていなかった日本が、
国際的な視点から受け入れを決めた頃、その拠点が姫路の方にあったんです。
難民の方々はそこで3ヶ月程度の日本語の勉強をした上で居住許可をもらうんですね。
ただ、3ヶ月程度の勉強では挨拶程度です。それでもなんとか仕事を探さねばならない。
そこでその雇先として受け入れたのが長田だったんです。

では、なぜ雇うようになったのか?と疑問に思われますよね。
たとえば日本人の社長ならば「言葉もできないのに雇用は...」と
二の足を踏むかもしれないのですが、先代が起業した在日2世の社長であれば、
「うちの親父と同じや。困っている状況はよくわかる。この人は働くで!」と
自身の親と同じ境遇を共感して受け入れが広がったんです。

長田は、ベトナムの人に優しくとっても住みやすい街。
長田の人口は10万人ですが、今では外国にルーツのある方は人口の10%程度います。
その内訳は、コリアンが7割、ベトナムが2割から3割くらいですね。

 

――居場所づくりについて伺いたいのですが、今こども達は何人いるのでしょう?

「Re:C」は遊んでいる子達が使える場所として開放しているので、
ずっと「主(ぬし)」のようにいる子や、ボールだけ借りに来る子などいろいろいますね。
全員では、だいたい15名程度ですね。

18①.jpg 

――居場所があること、についてはなぜ大切なのでしょうか。

そこにいることで、「自分にとっての拠点」ができるということにつながります。
ただそこに至るまでは結構大変で(笑)、こどもが定着する前は
お菓子などを配ったりしていました。
おかしを食べに来て、遊んでワーワー言っているうちにだんだん居場所として認識をしだすんですね。
初めのうちはこども達の反応は悪いんですけど、
だんだん慣れてコミュニケーションがとれるようになってきて、
施設の掃除を手伝ってもらったり、郵送の折り込み作業を手伝ってもらったり...。

年月が経つようになって、ここは彼らの通過点ではあるんですが、
いろいろ出入りする人たちとの間に関係性を持てる、つまり広い人間関係や視野をもてるようになる、
それが彼らにとって、非常に重要なことだと考えています。

 

――1999年にはじまって、すぐ「居場所づくり」に至ったのでしょうか?

99年からいろいろやりましたが、主だったものでは、教育相談会や母語教育などを実施してきました。
それぞれプロジェクト的に始まったものなのですが、折をみて独立させて育てたという流れがありますね。
ワールドキッズコミュニティは、当初は家庭教師を派遣して、言語的なサポートを、 
学校と家庭のつなぎ役としての位置づけを目指してました。
ほかにも試験的にやったものはたくさんあります。

例えば、期間限定だったのですが「多文化託児所」があります。
一つの部屋にたくさんの国のこども達を預かっていて、スペイン語圏の方たちが多かったです。
「Re:C」は2002年から始めています。そこで「映像としての表現」が始まったんです。

 

――映画(作品)として残っているのは2002年頃からですか?

はい。助成金を頂いて大々的にやったのがその頃でした。
その前段階として、こども達自身がラジオをやって、
学校の困りごとを伝えたり...ということもしていましたね。
その中で「外国にルーツのあるこども達が日本社会の中で気後れせず暮らしていける啓発活動」と、
「こども達のコミュニティの居場所表現活動」を今でも続けてきているのが現状ですね。

 

――実は今回のヒアリングまで、私は「母語」という言葉を知らなかったのですが、母国語とは違うんですか?

そうなんです。それぞれの民俗文化があり、場合によっては「国」として認められていない場合もあるんです。
たとえば日本なら、アイヌ語は「母国語」ではないんです。でも、言葉としてはしっかり成立していますよね。
いわゆる「自分が使って育ってきた言葉が母語」であり、どこの国で生まれたかではなく、
「どの言葉で生きてきたか」を重視しようという位置づけで、「母語」と言っているんです。

 

――全ての父母が日本語を話せないケースも多い一方で、こどもだけが日本社会の中で日本語になじみ、
うまく日本語でも母語でもコミュ二ケーションが取れない、ということがあります。
親子での言葉のコミュニケーションが取れない場合のトラブルって、どんな具体的な事例があるのでしょうか。

実際にあった事例としては、スペイン語圏の方で、こどもが中学3年生のとき、お母さんが学校に呼ばれて、
重要なお話ということだったので、通訳がついていったんです。
そうすると、学校からは「息子さんは高校に行けない」と言われショックを受けたという話がありました。
お母さんとしては、息子さんは日本語は話せるし、今まで進学について問題があるとは言われておらず、
なぜ高校に進学できないのか全く理解ができなかった。
その理由を調べていきますと、国の教育システムの違いが見えてきました。
お母さんの国では小学生の頃から、年に1回進級のタイミングにテストがあるんです。
幼い頃から留年することもありうるような環境で育ってきたんですね。
でも、日本の教育システムは、義務教育なので自動的に進級していく。
それを知らないお母さんは、
「なんの問題もなく進級できてきていたし、
自国の教育システム上は相応の学力を備えているはずなのに、なぜ...?」
ということに驚かれてしまって。

つまり、両国の教育システムの違いについて誰も教えてくれる人がいなかったのです。
実際のところ、外では日本語、兄弟同士でも日本語。
両親と話すときだけ母語であれば、母語レベルもあがらない。
具体的に言えば、家庭の中での会話って、「勉強しているのか!」「うるさい!」程度で、
学習内容などにともなう単語レベルには至らないんですね。
そのために母語が身についていかないんです。
だから例えば、自分はベトナムルーツだが、ベトナム語もおぼつかない、
そういう子がそのまま大人になり、自分が何人なのかもわからず、
アイデンティティに関わる疑問が湧いてきて、自分が「社会で孤立した存在なのか」と
思ってしまうケースもあるんです。
しかし考え方を変えると、両国の文化に触れているということは、
自分のルーツが国同士の橋渡しになるということにもつながるわけです。
だから今後の多文化社会の担い手として母語を重要視するという方針になっているんです。

18③.jpg 

――学校や友達とは「日本語」に圧倒的に多く触れてしまう。
では、「母語」は、親と話す以外、誰かが教えてくれるという環境は、
どんなところにあるのでしょうか?

実際のところ、なかなかそういう機会はないんです。
だからこそ、家庭で担う部分が大きく、例えばラテン系の方ですが、小学校の間、
こどもが学校から帰ってきたら必ず、2時間も母語の勉強をみっちりしていたご家庭がありました。
母国からテキストを取り寄せて、勉強させる徹底ぶりで、その教育を受けたこどもは、
今では流暢なスペイン語を話せるようになっています。
それは両親が努力し考えてきた結果なのですが、なかなかそういった方は少ないというのが現状でもあります。

 

――外国ルーツの子達は、日本語の国語能力が、みんな低いわけではないのですよね?

日本人家庭だと言語の発展があるんですが、学校の中でよくいわれるのは、
「日常生活言語と学習言語は違う」と言う点ですね。
友達と遊んだり喧嘩したりという言葉は2~3年で学べるのですけど、学校の中で学んだことを理解し、
思考を回して自分で表現したりするには、やはり経験が必要で、
外国ルーツの子達にはかなり強く意識づけしなければ難しいんです。
だから母語の家庭の中で、喋る機会が限られ、友達とは話せるが授業がわからない、という言語状態のまま。
自分の想いをうまく表現できないこども達がいるんです。
そのようなこども達が居る社会って、その子達の人権を守れているのか?ということを考えてしまいます。
その子が、その子なりに成長していける(体も心も)ことを整えるのが重要であって、
言語の二重環境にいる子は、よく触れ合う言語を伸ばすことにより、もう一方の言語も伸びていき、
自分で翻訳ができるようになっていきます。
そういう環境を作ってあげることが、今の問題を解消していけるのではないかと考えているんです。
そんな提言・啓発活動に力を入れているのが現状です。

 

――20年間の中で、多国籍の子達が増えてきています。教育の状況は改善されているのでしょうか?

だいぶ改善されてきていると思います。
政府でも、日本語教育の必要な子達を把握して、その子達に別途、
特別教育の過程で行えるようになってきています。
有識者が集まる会議などにおいて、母語教育という観点は抜けていたんですが、
その意識がここにきて高まりつつあります。
その子がどう言語形成しているかというのが重要なので、
その子たちが学べる機会を増やしていくことが重要だと思いますね。

 

――20年経てば、こども達も大きくなってきます。
就職する子もいると思うのですが、どのような職に就かれているのでしょうか?

Re:Cに通っていたこども達の中には、頑張って大学に通って、
貿易に関係した仕事についている子がいますね。
あと、中学校のときは「す」を逆に書いていたような子がなんとか高校には行けて、
卒業後は職を転々としながらも、一念発起して勉強を頑張り、今は電気工事士の資格を2つ取り、
電気関係の仕事についていたりする子もいます。

また、医療通訳者の派遣をする団体があるのですが、そのプロジェクトに協力して
派遣に力を貸してくれている子もいます。
ボランティアにも、すぐ駆けつけてくれる子たちばかりですね。
99年当時は想像もしなかったことです。続けてこられてよかったなと本当に思います。

 

――「Re:C」での表現活動で、関わる村上さんにとっての変化はどんなことでしたか?

こども達の映像表現としてが立ち上がる前にプレプロジェクトとして始めたとき、
最初に姫路のペルー人の女の子を支援したんです。
その子は、日本で育って、日本の友達がいて、日本で中学校に通い、お父さんは皮革工場で
働いていたんですけど、ある時、お父さんがオーバーステイで取り締まられてしまったんです。
勤めていた会社でも、すごくよく働く方だったので、会社や地域が支援に動き、
オーバーステイを認めてほしいという活動をしていたくらいの方で。
その中で、その女の子(中学生)の思いを映像にしようというシチュエーションになったんです。
作り上げられる映像が「社会変革」に向けた一歩になるはずだと、自分自身にとっても
大きな刺激と感じたことを今でも覚えています。

また別の子の事例で、日系ブラジル人の子と一緒に、映像を作る作業に取り組んだことがあります。
その子は小学校2年のときに日本に来て、日本語が十分できず、母語も十分でないような状況でした。
その子にとって、映像制作が私たちとの初めてのつながりで、私たちのところに毎週来るようになったんです。
自分の面倒を見てくれる大学生やスタッフが居ることが嬉しかったようです。
でも、その子とは、言葉がなかなか通じ合わなかったんですね。
映像の編集の中でも、その子が「須磨の海」を撮ってきた映像を、どのように加工したいのかを
話し合う共通言語がなくって。 よく見ると、海を撮りに行った日が雨、もう一回が晴れ。
同じ海で明るい映像と暗い映像があり、それを自分の好きなブラジルの曲に合わせて部分的に
暗い映像をつかいたい、明るい映像をつかいたいという思いを一緒に試行錯誤しながら作っていったんです。
たくさんコミュニケーションを取りながら、映像が完成。皆に集まってもらって上映会も行ったんですよ。
その体験は、彼女にとって、大切な人たちに作品を見てもらえて、褒めてもらえるという絶好の機会になり、
たくさんの笑顔が生まれました。
その子と映像を作りながら、私自身、自分に何ができるだろうと悩んだり、自分はなんて無力なんだろうと感じたんですよ。
この子が生きていけなくなるような社会は嫌だし、大きくなって安心して生きていける社会ってなんだろう?と考えたのが、
この活動に本気で取り組むことができた原点になりますね。

 

――ワールドキッズコミュニティの活動対象になるこども達は、
時代の変化の中で少しずつ増えてきていると思います。
日本だけでなく、外国にルーツのある人達と、お互いが助け合いながら進んでいかねばならない中で、
ワールドキッズコミュニティは変わらないことをするのか、変わっていくのか?どちらでしょうか。

変わっていかなければならないと思っています。
私が入った頃とはボランティアの数もこどもの数も、減ってきていて、活動自体も縮小されてきているんです。
社会的な活動は、もっと多くの人が参加できる枠組みを、事業性を維持しながら進めなければいけない。
そうしないと、私たちのような草の根の活動は、どんどん閉じていってしまうのではないかと危機感を感じていたりもします。

実際、土曜日には、少し前までは、たくさんの子がいてガヤガヤいろんなことをしていましたが、
今はこども達が少なくなって、事務所がシーンと静まり返っているんですね。
そういう状況を変えて、ワールドキッズコミュニティやRe:Cでこども達がたくさん参加してもらえる取り組みを行っていけば、親や仲間が集まってきて、ボランティアが集まってくるようになり...。
そうやって、前に踏み出しながら助成金に頼らないでやっていける、そんな団体に育てていきたいなと思っています。

18②.jpg 

編集後記:私自身、多国籍にルーツのあるこども達の存在を情報として知ってはいましたが、出会うことも接点を持つ機会もありませんでした。時代が変化するなかで、いろいろな国からたくさんの人が日本に来ている。「たくさん」の人がいるということは、「母語」を忘れてしまうこども達も増え、親子のコミュニケーションに悩む人も増えていく。これって、とても難しい。と、同時に、自分が日本人であることが、果たしてどういう意味を持つのかを、ここまで真剣に考えたことが今までなかったことに、自分でもビックリしてしまいました。「母語」、「教育」、「親子のコミュニケーション」、「就職」。すべては一本の線で結びついていて、どれも欠かすことができないもの。私たちは、どんな手の差し伸べ方ができるのか、もっともっと考えていきたいです。

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