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vol.21【ゆめ・まちヒアリング】おおさかこども多文化センター

みなさん、こんにちは!
ゆめまちこです

今回はこちらの団体さんについてご紹介です↓↓

 

【ゆめ・まちソーシャルラボVol.21】

NPO法人おおさかこども多文化センターへのヒアリング


――団体の活動について簡単にご紹介ください。

私達は、外国にルーツのあるこども達への包括的な教育支援に特化した活動に取り組んでいます。
主な活動は、大阪府教育委員会からの委託を受けている事業で、
大阪府立の高校で学んでいる、日本語の指導が必要な生徒に関する教育相談、
サポート、情報提供を行っています。
これが当団体の最も大きな柱ですね。

そのほか、4月からは、「たぶんかじゅく」の取り組みをNPO多文化共生センター大阪から引き継ぎました。
府立高校を希望している外国にルーツのある中学生の学習支援を行う事業です。
また、小中学生が中心になるのですが、日常の日本語が不慣れなこどもで、
学校での学習が十分に理解できないこどもに、日本語支援や宿題サポートなど
学習面での支援を行う「サタデークラス」も引き継ぎました。
そして、ずっと取り組みつづけていることとして、日本の社会に暮らす人たちに、
啓発...といったら仰々しいですが、「いろんな文化を背景に持ったこどもが、身近にたくさんいる」。
ということを、受け入れる社会側として知って欲しいということから、
世界各地の絵本を利用して多文化にふれる取り組みの「えほんのひろば」を実施しているんです。

 
――団体を発足したキッカケについて、教えてください。

多国籍にルーツのあるこどもたちは、本当に数多くいて、小学校、中学校、幼稚園を含めて
包括的に支援を行なう目的で2010年に発足させたんです。NPOとしては2011年からですね。
私自身は、その当時高校の支援事業に携わっていたのですが、日本には、高校からだけではなく、
いろんな学習ステージで日本に来るこどもがいます。
だから、どんな段階でも教育支援をおこなえるようにしたいという夢がありまして。

でも、その思いを持っていたのは、私だけではなくて、学校の先生や大学教員や地域のボランティア支援員が、
それぞれ個別に実施していた活動をリンクさせていった結果が、今の「おおさかこども多文化センター」の
基礎となっているんです。

 
――大阪府内の全域の取り組みを1つにまとめていくのは、かなり大変そうに思えるのですが。

もともとは、各団体のつなぎ手というわけではなかったのですが、私達が活動を進めるうちに、
それぞれの地域で支援をしている活動を、結果的に、つなげる役目になってきたんです。
そうなった一つの要因は、大阪府教育委員会からの委託を受けているという点で信用があったことですね。
大阪の市町村の行政レベルでも、外国ルーツのあるこども達への支援の仕方がわからないんですね。
そういうときに、私達は地域ごとの支援の担い手を知っていますので、
「こういう人がいるから話を聞いたらいい」という適切な助言を、市町村に対して行えるんです。
こういったことを8年間積み上げてくることで、いわゆる中核のような立場になってきたのだと思います。

 
――高校生に対しては行政の支援予算をつけられているけれど、
もともと小学校・中学校から支援しようという動きは無かったんですか?

そう思われるのも当然ですね。でも、小中学校は義務教育だから、
管轄がそれぞれの「市町村教育委員会」で、それぞれの市町村でそれぞれの支援体制があります。

ところで、なぜ府立高校からこの支援が制度化されたのかというと、大きな理由がありまして。
今から14年前になりますが、その当時、中国帰国者のこども達が日本での高校入試の時、
支援がうけられる学校がなかったんです。
中国帰国者というと、第二次世界大戦で中国等に残留せざるを得なかった日本国籍のこどもたちが、
大人になり、日本語がほとんど話せない状態で帰国することになった人たちのこと。
そのこどもたちが高校に入るときに、受け入れる制度がない!というのは、とても悲しいことで、
大阪府では「中国等帰国生徒及び外国人生徒入学者選抜」という制度で、
全日制の高校に英語・数学・母語作文のみの入試制度枠をつくることになったんです。
そういう学校が、徐々にでき始めて今現在は、7校にも増えたんです。
高校側から見ると、これまでは日本語だけで大丈夫な環境だったけれども、
これからは外国ルーツのこども達が入学して来るわけです。
でも先生方は、そういったこども達の言語(中国語、フィリピン語、ベトナム語など)は、指導ができないですよね。
だから、先生ができないところを私達がカバーするという目的で、活動の方針ができてきたんです。

 
――それが、おおさかこども多文化センターの現在の活動につながっていくんですね。

そうですね。私は高校生の支援活動を継続してきたのですが、
小学校、中学校からも包括的に支援が行えるようにできたらいいなと常々考えていました。
それで、ちょうど思いを同じくする方々からお話をいただき、
支援活動をされている方々が集い、NPOを立ち上げる事になったんです。

 
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――こども達のなかには日本語ができても、けして勉強ができる、というわけではないというお話がありました。

私は以前、スペイン語を勉強したあと、ペルーに3年くらい住んでいたことがあったんです。
当時、とある教育委員会が私のことを知ってくださって、
「小学校に行って、日本語とスペイン語のサポートをしてほしい」という依頼につながっていったんです。

1990年代に入管法が変わり、日本に南米の日系移民がたくさん来られることになりました。
その中でも、とても多かったのが、ブラジルとペルーの方。だからサポートが必要なこども達も、必然的に南米の方になっていくんですよね。
私は、学校に行って週に2回、2時間のサポートを行っていたんですけど、学校の先生は、私が来るのをずっと待っているんです。
私は週2回だけなので、その間に起こったその子の問題行動について、会ったときにドーッと話されるんです。
そして、私の出番(笑)。その子の保護者に連絡を入れて、母語で説明をするんです。

でも、取り組みを続けているうちに、「何か変だな」と違和感を感じることが多くなってきて...。
だって、私は、先生から聞く、その子の「悪いところ」しか見ていないんですもの。
こどもは、こどもの中で育ちます。
週に2回しか見ていない私には、その子がこどもの中でどのように育っているのかは、全く見えてこないんです。
こどもの育ち方をもっとよく見るために、「教師になろう!」と思い立ち、通信でがんばって勉強して、
小学校教員免許を取り、なんと!小学校の先生になったんです。
でもね、学校の先生になれたのは良かったのですが、なぜか私が配属されたのは日本語指導が必要なこどもがいない学校で、、、(笑)
その当時は、通常の教員採用試験を受けるには年齢制限があって、私は受験できなかったんですよね。
そのため別の枠で受験することにしたのが、でも、「常勤講師」というポジション。
肩書きは違えど、普通の教員と同じだけの仕事ができる職を得ることができました。

意気揚々と教育委員会に、「私はスペイン語が話せるし日本語指導ができるので、
日本語指導が必要なこどもがいる学校に配属して下さい!」とお願いしたのですが、なぜか聞き入れられませんでした。
そして配属された学校で3年後、担任を受け持たされたんですが、そのクラスがこれまた、とっても大変なクラスでして...。
それで心身共に疲れ果て、「私は何をやっているのだろう」と考えはじめたんです。
自分がやりたいことをやって疲れるのは本望なんですが、そうではないことで疲れ果てるというのはどうしても腑に落ちなかったので、辞めることにしました。
でも、「どうしたら外国にルーツのあるこども達の支援ができるのだろう?」と考えているところに、
大阪府の教育委員会から声をかけられて、この高校支援に携わりはじめるようになりました。

 
――ということは、この時は、さまざまな環境のこども達にしっかりと寄り添うお仕事は、
まだまだ、これから!という時期だったんですね。

そうです。教員になる前には学習支援をしていましたが、その一つの例として、
外国にルーツのある中学校2年生の男の子がいたんです。
その子は、大阪弁で上手に日本語をしゃべるんですよ。ただ、学校の成績がとても悪かった。
その子の先生が偉かったなぁと思うのは、その男の子と接するなかで、
「成績が悪いのにはなにか理由がある」と感じたらしいんです。
そして、「日本語を母語のスペイン語と合わせて学習することが必要なのではないか」と考えられたんだそうです。
そこで私が日本語指導のサポーターとして入りました。
しかし、その子は「日本語学習なんていやだ!」と言ってきたんですよ。理由を考えてみると、当然といえば当然で。
放課後に居残りをして日本語の勉強をするなんて、他の生徒から見ると、
「あいつ、日本語でしゃべっているのに、なぜまた勉強するの?」という目で見られてしまう。
それって、恥ずかしいし、嫌ですよね。それでも指導は必要です。
なので、表向きには「スペイン語を教える」ということにして、実際は日本語の指導を行なったんです。
その子は、私から教えるスペイン語は、余り理解できなかったですね。そもそも、読み書きができないんです。
簡単な日常会話は可能なんだけれども、それをスペイン語で書いてみてと伝えると、途端にできなくなる。

言語には4つの種類(聞く・話す・読む・書く)があります。「聞く」と「話す」は"習慣"で、「読む」と「書く」は"学習"なんです。
いわばこの子は、"習慣"的に母語を扱えるけれど、今までスペイン語を全く学習していないのです。
なんといっても、今までスペイン語の読み書きを習っていないですもんね。
言語というものは、読み書きを学んでいなければ、すぐに忘れます。

その例は私の家族にもありまして、私の娘一家はイギリスに住んでいたことがあるんです。
2人のこどもは、家では日本語で話していたんですが、1年もすると(文法的に合っているかどうかはわかりませんが)英語で会話をしはじめましたし、友達とも英語で話をしていました。
でも、その後、日本に帰国してから英語のサポートしなかったために、あっという間に英語を忘れてしまったんです。
結局、読み書きの"学習"がない場合、「聞く」と「話す」だけになります。
でも「聞く」と「話す」は"習慣"だから、使わなければ忘れてしまって、結果何も残らないんです。
家で話す言語は限られているし、語彙もそこまでは増えないですよね。
だから、限られた空間では話すことができるけれど、母語が使えるというレベルには到達しないわけです。
またそうなると、日本語の方にも影響をしだして、こっちも上達が難しくなります。
自分の母語でしっかり教育を受けている子のほうが、日本語と母語で言語の置き換えができるので習得が早い。
母語がしっかり理解ができていると,日本語の理解も早いのです。

母語というのは、言語力の一番の基礎を作る、人間としての活動の中核を担うものなんです。
それが、ぐらついている状態で来日してしまうと、第二言語は第一言語をもう超えられないんですよね。

外国にルーツのある中学校2年生の男の子の話に戻します。
私が一番ショックだったのは、いくら日本語がしゃべれても、彼は自分で自分の住所が漢字で書けなかったということでした。
作文を書かせても小学校一年生くらいの文章しか書けない。
彼は優しい子だったので、両親は共働きだからと、洗濯、食事の用意、買い物など、家事をすべて自分で担っていたんです。
ただ、彼はスーパーに行っても、チラシの「3割引」の意味がわからなかった...。
また、彼に限ったことではないのですが、電車に乗れない子も少なからずいます。
理由は、切符の買い方がわからないからという難しい問題も。
また、別の子の話ですが、その子は高校生で、私はその子を連れて移動したことがあるんですが、
駅の電光掲示板の行き先や時間、今どこの駅に電車が居るのかなどの表示の意味が、生活体験が少ないため、わかっていないんですね。
当然、時刻表も読めないのです。
また、ポルトガル語のサポートをしていた時のこどもで、その子は小学校4年生だったんですが、
「いってらっしゃい」や「ただいま」の意味がわからないんです。
親の国の文化で家の中は構成されているから、日本語の文化がわからないんです。
文科省が、「日本語指導が必要な子ども」の数を公表していて、その数はだんだん増えてきています。
でも実際の数がどれだけいるのかという点については、「日本語指導が必要なこども」を測る明確なものさしが、
実は現場には無かったりするんですよね。今、明示されている指標は、学校の校長先生や担任の先生の主観で、
指導が必要とされた子の数ということになります。

先程の「外国にルーツのある中学校2年生の男の子」が、指導が必要なこどもの人数に入るのかどうかは、
文科省に客観的な基準があるわけではありません。すべては、学校の先生の主観的な判断次第なのです。
だから、実際に支援が必要なこどもでも、先生から見ると、
「日本語指導が必要な子はいないですよ。友達とも上手に日本語で会話できているでしょ?」となるのですが、
そこには大きな落とし穴があるのです。日本語指導が必要なこどもは、『実際の数倍』いると私たちは言いつづけているんですよ。

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――日本語指導が必要なこども達には、どのように日本語を教えるのですか?

主に高校の現場で見ることが多いのですが、まだ日本に来て数年という子は日本語が十分できないので、日本語指導が必要。
これはわかりやすいですよね。 でも、幼少期に日本に来て若干指導を受けていただけで「フォローなし」で育っていった子については、
自分が「日本語が十分ではない」と自身で理解をしている子は、ほとんどいないと言っていいと思います。
保護者の方も、実はその状況を分かっていません。親から見ると、こどもは上手に日本語をしゃべっているので、
十分に日本語の力はついている、という理解になってしまうんです。
学校の先生も実態を把握していない。親も自分のこどもの状況を取り違えている。なによりこども自身が自分の日本語能力を正しく把握できていない。
こういった誰も正しく現状を理解できていないという問題があちこちで起きているのです。


――そういった問題のあるこども達は、一般的には高校に行きづらいということをいわれますが、
実は、高校には全員が進学できるんだと伺いました。

大阪の場合、2016年日本語指導の必要なこどもの高校への進学率は約95%なんです。もちろん日本人のこどもの進学率は98%です。
でも、他の都道府県では、そんなに進学率が高いところは無いんですよ。
なぜかというと大阪府には「海外から帰国した生徒、日本語指導が必要な帰国生徒外国人生徒のための入学者選抜」という
先進的な制度があるということと、「絶対この学校に行きたい!」という強い希望ある場合を除けば、
たとえテストの点が低くても、定員割れの高校には入ることができるという現状があるのです。
実際、定時制高校はだいたい定員割れですよね。外国にルーツのある生徒は、昼間働いて夜は定時制に通っていることもあるんです。


――就職の状況はどうなんでしょうか。

なかなか大変なんです。だけど今は売り手市場であることと、政府が各業種に実習生の受け入れを進めているから、
基本的にどこかの会社には入れるんです。ただ、難しい日本語の使用が多くないような業種になってしまいます。
読み書きが十分でなければ、業務上困りますものね。
こんな言い方をしたら失礼になってしまうけれど、大学も同じで、「絶対この大学に行きたい!」と志望をしなければ入れる大学はあるわけです。
特に中国の方たちは、学歴主義なので、とにかく日本の大学にいきたい!という強い気持ちを持っているんです。
でも、学力が不十分だったりすると、奨学金は給付ではなく貸与型。
返還は卒業後から始まりますが、そもそも評価対象となるレポートが日本語で十分に書けないのです。
大学では語学サポートがあるわけでもなく、学費は払わないといけないからアルバイトもしなければならない。
そうなると勉強が追いつかなくて、結局、大学を辞めて学費の借金だけが残ってしまう、という子がいるという話も入ってきています。

 
――やはり、小学生時代からのサポートということが中心なんですね。

そうですね。やっぱり自分の母語を大切にしてほしいという思いがあるのですが、
公の教育の場で母語教育を進めるというのは、やはりいろいろな意味で難しいですよね。
だから、私達が考えたのは、親自身に「自国の文化や習慣は大事なもの」ということを認識してもらうということなんです。
残念ながら、私たちもそうであるように、誰しもがそんなに強く認識しているわけではないという難しさもありますね。
ある東南アジアの母語の方は、自分の母語が英語のような"ユニバーサルな言語"ではなかったために、
「英語のほうが良い。母語はいらない」という判断をされていたんです。
子ども自身も、「親が母語を話すと嫌がる」、という考え方を持っていました。
もちろん、言語に優劣は無いのですが、社会的な背景から英語の優先度が高く、自分の母語である東南アジアの言葉は優先度が低く感じてしまうこともよくわかる。結局、親自身が母語の重要性を下げてしまうということも少なくないんです。

 
――そのような考え方があるなんて、初めて聞きました!
これまでは母語のアイデンティティを大切にする、もしくはしたいと思われている方々ばかりだと思っていました。

たしかに日本で生活するには日本語が大事ですが、それは生活するうえでの一つのツールでしかないんです。
ただ、母語に関してはもっと深く、アイデンティティにつながる根源的な意味があるんです。
今では学校の先生も、だいぶ理解が深まってきたので、「家では日本語で話して下さい」とは言わなくなったんですけどね、
私達は、長い時間をかけて「家で母語を使って会話してください」と言い続けてきたんです。

一つ驚いた話があるのですが、私達が支援をしている高校で保護者懇談会が開催されるので、通訳としてサポーターを派遣したんです。
そうすると、こどもはどっぷりと日本社会に入っているので日本語もできるし友人と交流もできる。
でも、親はなかなかこどものようには日本語はしゃべれないわけです。
そうすると、サポーターが入ることによって初めて、「親は子が何を考えているか」を知り、子は「親がどんな気持ちだったか」を知るんです。
それって、怖いことでしょう?一緒に暮らし、一緒に育ってきているけれど、気持ちの交流ができていなかったんですもの。
このように、外国にルーツのあるこども達の家庭では、親子の言語コミュニケーションが取れていない、ということが相当あるのが事実なんです。
いつか、自分の将来を選択する時に、親にそれが相談できない。だから、自分で決めなければならないんです。
でも、自分で判断するのには十分な情報は持っていない。親は親で、こどもが何を考えているのかわからない。
それに、外国ルーツのあるこどもの保護者の方から涙ながらに訴えられたことがあるのですが、
「自分は自分の国の方針でこどもに教育をつけようとするが、こどもにはそれが全く伝わらない」と。
親に対する距離感というのは国によって違うんです。親は自分の国の親子間の距離でこどもに接するのですが、こどもは日本文化の距離感なので、真意が伝わらなくなってしまうんですよね。 だから、何気ないことでも親子でコミュニケーションが取れるというのは、とても大事なことなのです。だから母語を大事にしてほしいということを、強く思うんです。

 
――我々は、どのように関わっていけばよいのでしょうか。

すごく難しい問題です。簡単なことはないんです。それで一つの方法として考えたのが、「絵本」を使って多文化にふれるという方法なんですね。
絵本をこどもに読み聞かせるということは、親ならできますよね。その絵本を、母語で読んであげることで、母語に触れる機会を小さいときから作るということです。
多言語の絵本も手に入りにくいんですが、絵本であれば日本のものであっても、どのように読んでも構わないわけです。
重要なのは親が母語で読みきかせるということ。そういった中で親子関係をしっかり築いていくということが大切なんです。
合わせて、言葉だけではなく文化習慣も伝えていくこともできるんです。
良い例として、ペルーの子を学校で支援していたんですが、私が立派だなと思ったのは、 ずっとその子の家ではスペイン語で話すことを徹底してこられたんです。
料理をはじめ、自分の国の文化がいかに大事かということをスペイン語で伝えつづけました。
その子は、ペルーの民族舞踊(フォルクローレ)をしたいと言って、それを習っているんですが、実はね、その子はペルーに一回も行ったことは無いんですよ。
でも、嬉しいことに、その子はルーツであるペルーの文化に誇りを持って、フォルクローレを踊っているんです。

 
-―外国の方は、増えていっています。労働力という観点もあるし、日本が過ごしやすいという観点もあります。すべての方が貧しいわけではなく裕福な方もいる。色々な国の方がおられ、混ざり合っていく形になると考えています。混ざり合うということは、衝突やトラブルも生まれてきますよね。そんなときに「おおさかこども多文化センター」のような団体はすごく必要になってくると思うのですが、団体の今後については、どのようにお考えでしょうか。

そうですね。多文化共生というのはすごく難しい問題で、衝突は必ずあるものなのです。色々な価値観の方が集うわけですから。
その違いを「楽しい」「面白い」「あたらしい学び」と捉えるか、「いやだ」「めんどう」と思うか。
その方向によって日本の多文化共生の方向性が決まると思っています。

 
――現状といえば世間はそんなにウェルカムな雰囲気ではないし、きっと難しいのだろうなとも感じるのです。

私も思います。私は「空気を読む」という言葉がきらいなんです。
海外で生活をしていると、それぞれ違った意見があって当然だ、という考え方がベースなのですが、
日本ではみんな同じ考え方であるべきという流れがあります。
ここで、こういう意見を言うと相手は嫌がるかなぁなどと読みすぎてしまう。
海外では自分の意見を言わなければ評価の対象にならないし、違う考え方の人がいても、それはそれなんです。
別に意見が違うから人間性すべてを否定されるわけではない。みんな、それぞれ意見の合うところで動けば良いんです。
日本の場合は、合わなければ「敵味方」ではないですが、同じ考え方の人が固まる傾向にありますものね。
でも、否応無しにグローバル化は進みます。海外から来られる方たちに対しての教育・福祉・医療の面では、まだまだサポートが足りていないと思います。

 
――これからの団体として取り組みたいことはありますか?

やりたいことはたくさんあるのですが、担い手が高齢化してきていまして。 やっぱり若い方に余裕が無いのでね...。
自分たちの世代には余裕があったから、これまでできたんですが、次につなげる時に渡せる人材が、まだいないんです。
また、資金面でも企業とタイアップするとか、もっと違うステップに行かなければ、受益者負担を求められない支援型のNPOは続けられなくなります。
まだまだ走り続けなければならないので、支援の輪が広がることを願っています。
とりわけ、ITに関するボランティア、いつでも募集しています(笑)

 

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編集後記: 外国にルーツのある高校生の日本語支援にはじまり、問題の本質を探るために小中学生支援に範囲を広げ、ついには自ら教師となって教育の現場に入り、こどもと親のコミュニケーション活性化と母語への積極的な関わりのために「多文化にふれる えほんのひろば」を開くなど、村上さんはじめ、おおさかこども多文化センターの皆さんの行動力には驚かされっぱなしでした。 また、実際に現場でサポートをされてきたからこそ語れる、こどもたちの現状にも心がギュッと掴まれました。大きくなってから日本語を学ばないといけない、住所が書けない、切符が買えない...。かわいそうと思うのはとても簡単だけど、実際、私達が海外に行くと、住所も書けないし、切符も買えないという同じ状況に陥ってしまいます。大切なことは、相手の立場に立って考えられるかどうか。そして、村上さんが話された価値観の違いを「面白い」と感じれるかどうか。まずは、駅で困っている方に手を差し伸べたり、もし、近くに海外から引っ越された方に声をかけてみたり。小さくともできることから、はじめていきたいですね。

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