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vol.25【ゆめ・まちヒアリング】FaSoLabo京都

みなさん、こんにちは

今回はこちらの団体さんについてご紹介します↓↓↓

【ゆめ・まちソーシャルラボVol.25】
認定NPO法人 FaSoLabo京都へのヒアリング
(※2018.5月時点のヒアリング内容です。)

 
――団体さんの活動をご紹介いただけますか?

私たちの団体は京都を中心に、食物アレルギーの3つの支援の柱、「当事者支援」「支援者支援」「社会的理解」を大事にして活動しています。 「当事者支援」については、ここの京都市中京区の事務局がサポートデスクでもあるので、ここを拠点に当事者を支援する体制を作り、「支援者支援」については、名古屋の「認定NPO法人アレルギー支援ネットワーク」の「アレルギー大学」という事業の京都事務所も担当しているんですよ。また、京都府内の子育て支援関係のNPOと一緒に、各地域で食物アレルギーの講座を開くという取り組みもしています。 3つ目の「社会的理解」に関してですが、この事務所はサポートデスクともに京都市の「つどいのひろば」事業を受託していることもあり、地域の乳幼児を持つ親子も来られるんですよ。地域の子育て家庭の皆さんと食物アレルギーのこどものいる家庭を繋げられる...という位置づけにして、ここが社会的理解の拠点でもある、という活動をしています。

 
――活動を初めて13年。団体を立ち上げられたきっかけを教えてください。

今、19歳になる長男がいて、彼が乳幼児の頃はひどい食物アレルギーで、子育てがすごくしんどかったんです。19年前は医療のレベルも今と全く違うんですね。その当時の「厳格除去食療法」という治療の中では、「食べられないもの」を挙げるよりは、「食べることができるもの」を数える方が早いような状態で。 食べても良いと言われていたのは、「ごはん」「キャベツ」「じゃがいも」ぐらいだったんです...。乳製品をたべてしまうと戻してしまい、ショック症状になってしまうような子で、本当に毎日が大変でした。 とてもしんどいという気持ちと、この子をなんとかしなければならないという思いと、起こっている現実が消化しきれなくて、抱え込んでしまう状態になっていて...。こどもも、肌がかゆくなったりして、なかなか寝れなかったんです。 だから、昼間でも雨戸を締めて、こどもを寝かせるために電話線も、テレビも切って真っ暗の部屋にして...。でも、こどもはそれでも寝ないんですよ。きっと当時は育児ノイローゼにもなってしまっていて。周りの方は、「保育園に預けたら?」と言ってくれるのですが、自分としてはそれが「母親失格」と言われているように感じ、本当にどうしていいのかわからなかったんです。 そんな時なんとかしなければならないと思い、ふと「保育園ってどんなところなんだろう」と思いましてね。母子分離についても考えないとって思っていた時期なので、保育園に行ってみたのですが、当時は食物アレルギーがきついと、保育園にも入れてもらえない状態だったんですよね。それで、5件以上は保育園を回ったんですけど、ありがたいことに最後に見学に行った保育園で受け入れてくれることになったんです。 その保育園の先生に、はじめて「よく今まで一人で頑張ってきたね」と言われた時、 初めて、「救われた!」という気がしたんです。 その保育園にお世話になることになりまして、そこで初めて、食物アレルギーのこどものお母さんたちに出会うことができました。食物アレルギーに対応した保育園だったので、結構たくさん同じ悩みのあるお母さんがいらっしゃったんですよ。今まで何でも一人で抱え込んできたのだけど、保育園の皆さんに出会ってからは、ほんとに助けてもらいました。 それからしばらくして、食物アレルギー支援は保育園が独自でやっている内容だということを知ったんですよ。そして、同じ頃、別の保育園のお母さんが「保育園ごとの個々の対応ではなく、どこの保育園でも食物アレルギーのあるこどもが受け入れられるようにならないといけない!」という運動をされていることを知り、私も参加して、署名を集めたり、議会に請願書を提出しに行くといった活動を一緒にさせていただいてたんです。そんな活動をしているうちにね、ふと、「あんなにメソメソ泣いていたのに、なぜこんなに元気に動けるように、こんなことができるようになったのだろう?」と大きな変化に気づいたんですよ。それはね、やっぱり、"仲間"がいたから。同じ思いを持つ人たちが、近くにいたからですね。

 
――ようやく同じ悩みを抱える仲間に出会えたんですね。
そこから団体を立ち上げるまでには、どんな経緯があったのですか?

私はたまたま、その保育園と仲間に出会うことができたんですが、保育園というのは、当時は働いていないと今以上に入りにくい施設だったんです。そうなると、一人で悩んでいるお母さんが仲間と出会える確率は、非常に低く、仲間に出会えずに苦しんでいる方がたくさんいるはずで、そういった方たちの手助けになるにはどうしたらいいのだろうと悩んだんです。 それまでに食物アレルギーの患者会や家族会というのがあることは知っていたのですが、そこは「ハードルが高い」と思っていたんですね。会費を支払わないといけなかったり、月に1回の定例会しか出会える場所がないとか。「何かをしに行かないといけない」というような場所だったのですが、そうじゃなくて「自分が行きたいときに行って、のんびりできて、別に会員制でもなく...」という場所がほしいと思ったんです。 いろいろ考えて最初に助けを求めたのが、保健所の乳幼児健診だったんです。当時は、検診のときに食物アレルギーのことを聞いても、食物アレルギーの専門的な情報なんて全くなかったんですよ。だから保健所に、ニュースレターをおいてもらったらいいのではないかと思ったんです。団体を作るということよりは、「ひとりじゃないよ。みんないるよ」ということを伝えたくて、ニュースレターを作り、当時京都市内に13箇所あった保健所に、飛び込みで「置いてもらえませんかー!」とお願いして回るという取り組みが一番最初のアクションでした。 やっぱり、悩んでいるときこそ、「つながりたい」という気持ちがとても強いんです。それはきっと、自分が「ひとりじゃない」と思いたかったからなんでしょうね。 そして、仲間が増え、仲間がいるということだけで、心強くなれると思ってはじめたのが「ぴいちゃんねっと(現: FaSoLabo京都)」という団体なんです。

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――まずは、みなさんが集まる場所づくりからはじめられたんですよね?

はい。当時は児童館とか、つどいの広場とかが徐々にできはじめていたのですが、食物アレルギーに配慮されている施設が、ほとんどなかったんですよ。 そういう施設って、乳幼児を対象にした場所なので、こどものイベントがたくさん企画されるんです。でも、食物アレルギーのあるこどもにとっては、「絵本の読み聞かせ」に行っても、最後に配られるお菓子が食べられないということがあったり...。クリスマス会とか、楽しい行事はたくさんやっていただけるんですけど、楽しみで行くはずが、食べ物が出てくると、食物アレルギーのあるこどもには「ガマン大会」に変わってしまう...。というのが容易に想像できてしまうんですよ。  だから、食物アレルギーのある子は、そういう場所が結局「行けない場所」になってしまう。おそらく、食物アレルギーの無い方には、つどいの広場などの新しい施設ができたという情報は「楽しむ場所が増えた」なんですが、私たちにとっては、「悲しみが一つ増える」という感じなんですよ。 いつかは、食物アレルギーのあるこども達だけが、またはその保護者だけが集える常設の居場所が作りたい、という思いからスタートしているんです。

 
――1人のお母さんが、団体を立ち上げるために関係者の方達にお声がけをされたりとか、
実際にはとても大変だったのではないですか?

その当時はメールもLINEもなかったので(笑)、ニュースレターを発行した時に、手紙をいっぱいもらい、一緒に何かやりたいという連絡をたくさんいただきました。1年後くらいには、なんと10名を超える仲間ができていたんですよ。 ただ、みんな子育てや仕事をしながらなので、土日など休みにニュースレターをつくったり、小さなイベントをやったりということから始めていました。

 
――活動の経歴を見ていると、団体が始まった後、出版事業や、コミュニケーションのとり方を変えるとか、
アレルギー大学の誘致など、「どうすれば届くのだろう?」ということを試行錯誤されていますよね?

いつも、「居場所づくり」と「ひとりじゃないよ」を伝えるものでありたいと思ってきましたし、今もそう思っているのですが、「やるべきこと」と「やりたいこと」とはイコールではないと思うんです。 その部分について、わたしが未熟な時もあり、揉め事もあったんです。 一番大きかったのはニュースレターでした。「ひとりじゃないよ」と言うことを伝えたい"ピアサポート"の入り口で、手軽に手にとってもらえるつながりのツールとしてこだわってつくっていたのですが、そのうち、「もっと手をかけたい」とか「冊子にしたい」というスタッフからの要望も出てきて、ニュースレター事業の根幹について皆で話し合うことなく、"やってみよう"という形でスタートしてしまったんです。 そうなると、出版のために広告を取りに行くとか、取材に行く必要があるとか、原稿のやり取りとか、そこに追われてしまいました。当事者支援を考えたいのに、出版でいっぱいいっぱいになってしまい、居場所づくりや交流はどうするのか...?と考えたり、出版の赤字決算が続くと、継続をどうしようかと考えなければならなくなってしまいました。 当時はわたしもワンマンなところがあったので、話し合いもせずに「出版はやめよう!」と言ったんです。今は、話し合いも大事だと思えるようになったのですが(笑)、その時は「出版をやめる!」とそれを言っただけだったので、スタッフの中には、出版事業が当事者支援になるという信念を持ち。それがやりたいことであり、やるべきことだと思ってる人もいたんです。出版のスタッフたちはスタッフたちで、いろんなことを考えてきてくれていたのに、私は受け入れられなくて、話し合いを得ずに決定事項として進めてしまったんです。 食物アレルギーは病気なので、医療と切り離せず、医療支援はどういう形が望ましいのかということや、こどもが適切な治療を受けられるようにするためにも、保護者に複数の選択肢を考えてもらえるようにするというのが最も大事なのにそれをチームの中でうまく伝えきれていなかったんです。 食物アレルギーは毎日の食事制限なので、お母さんはベジタリアンとかマクロビとかそういった「代替医療」を取り入れられてしまうんですね。真面目で熱心なお母さんほど、そこに傾倒してしまったり、今なら「ステロイドや保湿剤などを上手に使いわけて、スキンケアをしましょう」というのが治療の肝になるのですが、ステロイドが嫌だから、ステロイドの代わりにラップを腕に巻いて保湿してしまったり...ということが、実際に起こっていた時代だったんです。 でも、適切な治療をスタッフの間でも共有できていないまま進んでいたために、当事者の方に「助けてほしい」と言われた時に適切なアドバイスができていなかったんです。 法人化後に、医者を理事に迎えたときに、その点を指摘されました。(分かってはいたけれど)わたしにも、それをきっちり指導できるだけの力がなかった。ニュースレター・出版の不具合と、医療支援をどうしていくかというお互いの意思疎通ができなかったことで、この団体ではもうやっていけない、と言われる方もおられました。それは、わたしが未熟だったんだなぁ...と思っているんです。

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――医療機関でこどもが食物アレルギーだということがわかった時、ケアは厚くなっているのでしょうか。

医療自体が、昔とは全く変わってきているんです。食物アレルギーだという診断自体の手法も変わってきていれば、除去しなければならないという食材の判断も昔ほど、何もかも除去しなさいという指導ではなくなってきています。それは医療の面ではとても大きな変化だと思います。 一方で、保育園や幼稚園とかそういう公的な場所も、食物アレルギーに配慮しましょうね、という雰囲気にはなってきていますし、2015年に法律ができてからは、自治体等の委員会などに当事者の立場で参加してくださいという依頼もあり、京都府や京都市さんがしっかり対応しているのがわかるので、「ああ、すごいな」と体制の変化にも驚いていますね。 NPOは社会課題に基づいて生まれるものなので、本当は無くなることが理想だったりするでしょう?「 FaSoLabo京都」も元々10年たったら無くなっている団体でありたいというのが目標だったのですが、もうすでに13年も経っている(笑) 医療も制度も、これだけ改善してきているのに、なぜ無くなってないのだろうと思ったんですが、今、改めて思うのは、お母さんとかこども達の孤独感とか、わかってもらえないしんどさは、私が活動をはじめた13年前と実はあまり変わっていないんですよ。つまり、生活面とか精神面のサポートが、十分ではないんです。 社会的な理解の問題が最後に残るんだなと思った時に、今のかたちでいいのか?と思うわけですよ。 講座などに来てくれている方は多いけど、どうしたら医療とか制度の中で、食物アレルギーのこどもや保護者の方たちの生活やメンタルの面が改善されるかという、そこを一緒に考えることが抜けているのではないかと思いはじめたんですね。 今までやってきた講座形式だと、教える側と教わる側の一方通行なので、お互いが学びあえるような場所がないといけないと思ったんです。そうするとさきほど話した食物アレルギーのこどもがいる保護者の方への生活面、メンタル面での支援がないという点と重なってくるんです。子育て支援の目線で考えたら、ソーシャルワークなどの支援が本当に無いということを思い始めたんです。 ちょうどその時、「子育て支援の視点から食物アレルギー支援」という調査をやろう!ということになりまして。ちゃんと数値化された情報というものはこれまでなかったので。 その調査には、たまたま縁のあった大学生も協力してくれて、今その原稿が出来上がりつつあるところなんですよ。その執筆の間にいろんな事がわかってきました。もう、これしかない!ということがやっぱり見えてきましてね。 たとえば、高齢者の福祉なら、当初は医療施設で対応していたのが、介護施設ができて、そこでケアマネージャーのような第三者がコーディネートしますよね。こどもに関しては児童相談員がいたり、学校に上がる年齢になるとスクールソーシャルワーカーがいたり、貧困などの家庭課題だったり、2005年に発達障害者支援法ができたときからは、第三者がそういった問題に関わるようになっているけど、食物アレルギーについては、何もない。だから、医者から言われたことを保育園や学校など色んな所に伝えていくとき、いつも矢面に立つのは「保護者」なんです。 そうなると私もやってしまったんですが、こちらが「伝えたい」と思うことと、「保育園や学校側で対応できること」との乖離が大きく感じてしまうのです。こちらとしてはわが子のことなので一生懸命に説明するんですが、保育園や学校には、自治体の支援制度や設備のなかで限界もあるということがあるんです。 私は、これまでの取り組みから各地の教育委員会にお話することができるようになりましたし、京都府や京都市がどんな取り組みをしているのかということもわかります。サポートデスクに相談に来られた方に、府や市の現状であったり、教育委員会の対応の内容についても説明をすることができるので、来られた方も納得して帰られるんです。ずっと、行政にわかってもらえないという感覚が拭えていなかったのは、その自治体の制度や限界の部分がブラックボックスで、これを解消しない限り問題は消えないのではないかなと思うんですね。 ではそのブラックボックスの部分を埋めるのは何かというと、やはり食物アレルギーの子の保護者に対する生活や精神面での「相談援助」だと思うんです。中間支援的に双方の翻訳を行うことができる方の存在が必要なんだなと。 社会福祉士や児童相談員って、相談援助のプロですよね。だからそういった方に食物アレルギーに関するノウハウも扱ってもらえないかなと思っているんです。 ただ、それをどういうふうに実現したらいいのか、ということを皆さんでいっしょに研究する場を作りたいと思っているんです。 最初の始まりは「ひとりじゃないよ」でしたけど、人と人、人が集まってグループとグループがつながって行けばいいな、という思いで当時は「ネットワーク」を団体の名前に入れていたんです。でも、今は、みんなで考える場所であったり、生活面や精神面の相談や支援など、思いの部分が支援できる場所であったり、人を盛り上げるというか、成長していける場所でありたいと思ったので、思い切って団体名を変えることにしました(笑)。※変更前「アレルギーネットワーク京都ぴいちゃんねっと」


――動けば動くほど、活動の目的がどんどん変わってくるんですね。

そうですね。いろんな事がありましたし、一番大事なことは、伝えていかなければならないことは、面倒くさがらずにしっかりと伝えていかないといけないなと(笑) だから反省を込めて、毎月最低1回はここを閉めて、職員研修というかたちで、私達の団体の理念は...からはじまり、ニュースレター事業の目的は...とか。5月のミーティングであれば、模造紙に事業の中長期計画や思いを皆で書き出したりするんです。 皆で同じ方向を向かなければならないんだなと思うんですよね。 昔、うまく行かなかった時に何が欠けていたのかといえば、やっぱり「共有すること」ではないかなと思ったんです。 今は、きっとですけど(笑)スタッフみんなが同じ方向を向いてくれていると思うんですよ。1世代2世代若いお母さん達もいるし、食物アレルギーではないこどもの親御さんもおられるんです。でもそういったことは分け隔てなくやっていたりしますのでね。 最近は、もう「明日からでも次世代にバトンを渡せる」と思っています(笑)スタッフみんな、ここを「どういう場所にしなければならない」ということはもうわかってくれているので。ただ...私がちょっと寂しいので、まだ少し、いさせてもらおうかなと思っています(笑) また昔は、反対意見を恐ろしく思うこともあったんですが、今は「何か言ってよ...!」って思うんですよ。「こういうことをやりたい」と伝えた時に誰も何も反対意見がないと、かえって不安になりますね(笑) 自分も、いろいろなことの積み重ねで成長させてもらったとは思うし、成長しなければならないと思います。

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編集後記:19年前に、一人で思い悩み、真っ暗な部屋の中に閉じこもっていたという当時の状況がとても過酷過ぎて...。我が子が食べれるものが「ごはん」「キャベツ」「じゃがいも」だというのは、しんどくないはずがないですよね!でも、「ひとりじゃないよ」をコツコツ伝え続け、団体としての失敗と反省を経て、今は、「明日からでも次世代にバトンを渡せる」と言えるまでに地盤を固めることができるようになったとのこと。結局、どんなときでも、一番大事なことは、面倒くさがらず、しっかりと伝えていかないといけないということなんですよね。団体名をリニューアルし、新しい一歩を踏みだした「ぴいちゃんねっと」さん。今後の取り組みに、これからも注目しつつ、一人でも多くの食物アレルギーで悩む親子を応援しつづけてもらいたいと願っています。

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